M&P Legal Note 2022 No.3-1
企業によるメンタルヘルス対応の法的実務概観
2022年4月12日
松田綜合法律事務所
弁護士 岡本明子
第1 はじめに
企業において、メンタルヘルス対策の必要性はすでに広く認識されているところかと思います。直近の新型コロナによる影響はもちろんのこと、複雑化、多様化する社会の中で、メンタルヘルスの問題は、今後ますます重要になっていくものと思われます。
従業員がメンタルヘルスを害してしまった場合、貴重な戦力を失い人員計画が影響を受けるだけでなく、労災の問題や、対応を誤ること等による事後の紛争リスク、他の従業員への影響など、企業には多大な影響が生じます。このことからも、メンタルヘルス対応は重要です。
法的には、企業が従業員のメンタルヘルスに対応する必要があるのは、企業は従業員に対して安全配慮義務(労働者が労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するように配慮する義務)を負っているからです。この安全配慮義務を尽くすことが、メンタルヘルス実務対応の内容です。
しかし、メンタルヘルス不調は、いわゆる体の病気と異なり、発症の原因や疾病の程度が分かりづらく、そのため、この安全配慮義務を尽くすために、何をどこまで行っていけばよいのかが分かりにくいという特徴があります。そのため、取り組みにくい分野の一つであることでしょう。
本稿では、企業によるメンタルヘルスの法的実務対応の項目を概観します。ご覧いただくと、労務管理の基本的な対応がメンタルヘルス対応に共通する部分もあること、メンタルヘルス対応に特有の点は何か、といったことがお分かりいただけるかと思います。
第2 事前の体制整備
メンタルヘルス対応においても、他の人事労務実務と同様に、事前の体制整備は欠かせません。
1.病気休職制度に関する就業規則の整備
従業員がメンタルヘルスを害してしまった場合の対応についても、就業規則上のルールが必要となります。定めておくべき項目としては、病気休職制度に加え、精神的不調が疑われるときの受診命令、復職時のルール、退職のルール等です。実際の使い勝手を考えて十分に作りこみを行っておく必要があります。
病気休職制度の制度設計は、会社の実情に応じて検討すべき事項は多岐にわたりますが、主には以下の点が挙げられます。
✓ 病気休職の開始、終了は使用者が命じるものとする
✓ 勤続年数に応じた病気休職期間の設定の検討
✓ 同一事由での病気休職に通算規程を設ける
✓ 試用期間を病気休職の適用除外とするか否か
✓ 診断書の提出命令、受診命令の根拠規定を定める
✓ 病気休職中の報告等のルールを明確化する
✓ 復職の定義を明確にする
✓ リハビリ勤務、試し勤務に関する規定の要否の検討
なお、制度設計にあたっては、病気休職制度は解雇猶予の制度であるということを念頭に置いて検討することが有意義です。すなわち、メンタルヘルス不調などの業務外の疾病によって就労不能となった場合、雇用契約に基づく労働者の負担する義務である労務提供ができない状況ですので、本来は契約解除、すなわち解雇となるべき状況ではありますが、労働者保護の観点から、解雇を一定期間猶予する制度が病気休職制度であるということです。この制度の目的を念頭に、企業において病気休職をどのような場合にどの範囲で認めるのか、復職のルールはどうするか等を検討することになります。
また、同一労働同一賃金の観点から、いわゆる非正規雇用の労働者にも病気休職制度を設け、その制度内容の正社員との相違を検討する必要があります。制度内容に相違を設けることは、合理性の認められる範囲で可能であると考えられますが、非正規労働者には病気休職制度を認めていない就業規則も散見されますところ、少なくとも制度を設けることは必須と言えます。
2.連携可能な医師の確保
先述の通り、メンタルヘルス不調の特徴として、発症の原因や疾病の程度が分かりづらいという特徴があります。実務においても、同じ患者を近接した時期に診察した複数の精神科医の発行する診断書の記載がバラバラの内容であることはよく見られます。従業員の主治医のほかに、企業が相談したり受診命令の際の指定医師とすることができるような医師のつてを確保しておくことは、比較的優先順位の高い事項と言えます。
3.ストレスチェックの制度設計
従業員50人以上の事業場ではストレスチェックの実施が義務となっていますが、せっかく行ったストレスチェックの結果を職場のメンタルヘルス対策に活用できるよう制度設計をしておかない手はありません。ただし、ストレスチェックの個人ごとの結果は機微な個人情報ですので、情報活用の制度設計に当たっては、個人情報の保護に配慮した適法な制度となるよう、専門家の助言が必要です。
4.その他
その他、部下のメンタルヘルス対応に関する管理職研修や、カウンセラー等による相談窓口の設置なども、有効な対策となります。
第3 日常実務の中での対応
日常の実務の中においても、メンタルヘルス不調の予防や早期発見につなげるという視点をもって運用を行っていくことがポイントです。
1.労働時間管理
精神的不調に関する厚労省の労災認定基準(「心理的負荷による精神障害の認定基準について」)において、発症前後の長時間労働の有無は重要な要素として考慮に入れられていることからもわかるように、長時間労働は、しばしばメンタルヘルスを害する引き金となります。恒常的な長時間労働や短期であっても極端な長時間労働が生じないよう、労働時間を管理することは、メンタルヘルス対策としても重要です。
2.勤怠管理
メンタルヘルス不調の分かりやすい兆しとして、遅刻や欠勤などの勤怠の乱れは重要な指標となります。適切な勤怠管理を、メンタルヘルス不調者の早期発見につなげるという心構えも重要です。
3.ハラスメント対策
職場におけるセクハラ・パワハラ・カスハラ等を理由として従業員がメンタルヘルス不調を生じた場合、企業は安全配慮義務違反の責任を負うことになります。2022年4月に中小企業にも完全施行となった、いわゆるパワハラ防止法の定めるパワーハラスメント防止措置を行うことは、メンタルヘルス対策にもつながります。
また、ハラスメントの被害申告の背景に、メンタルヘルス不調が隠れていることもあります。ハラスメントの被害申告に対し、企業はいわゆるパワハラ防止法や安全配慮義務に基づいて適切な対応を取ること必要であることはもちろんですが、ハラスメントがあると認められない場合においても、被害申告者が実はメンタルヘルス不調に陥っているというケースも散見されます。そのようなケースでは、ハラスメントの有無を確認し、メンタルヘルス不調そのものに企業の責任があるのかどうかを見極めた上、病気休職等、第4に述べる不調者発生時の対応を取っていく必要があります。
4.問題社員対応
問題行動やローパフォーマンスなどのいわゆる問題社員には、メンタルヘルス不調が隠れていることがあります。企業としてはメンタルヘルスの不調に気が付くべきであったのに見逃して適切な対応を取らないと、安全配慮義務違反を問われることがあります。そのため問題社員対応は、企業秩序維持すなわち当該従業員の責任を問うという観点に加え、メンタルヘルス対策すなわち当該従業員の生命身体の保護という観点も同時に念頭に置く必要があります。この2つの相反するとも思える要請をどのように両立し又は使い分けていくか、過去の裁判例等を念頭に、慎重な検討を要します。
第4 不調者発生時の対応
従業員がメンタルヘルス不調に陥ってしまった場合には、事前に整備した体制を活用して対応していきます。
1.休職命令の発令
就業規則の病気休職に関する規程や医師との連携を活用しながら、適切なタイミングで休職命令を発令します。従業員の不調が悪化しないよう休ませることも安全配慮義務の一内容である一方、必要性の認められない休職命令は賃金請求等の形で事後の紛争となり得ますので、休職命令の要否とタイミングについても、医師の診断書確認、産業医の意見確認等による見極めが必要です。
2.復職の対応
復職についても、タイミングの見極め、リハビリ勤務の適否、復職後の配置、職務内容、職務軽減その他の配慮の要否など、検討を要する事項があります。
復職後、再度不調に陥ってしまうこともありますが、そのような場合も、事前に策定した就業規則を活用して対応していきます。
3.退職等の対応
休職期間が満了したにもかかわらず、不幸にも復職が見込めない場合には、退職等の手続きを取ることとなります。従業員の地位を失わせるという重大な手続であり、誤った場合のリスクも大きいことから適切な根拠をもって対応していきます。
第5 事後対応
1.労災申請への対応
メンタルヘルス不調が業務上の疾病であると従業員が考える場合、労災を申請することができます。企業にとって、労災が認められると、企業の安全配慮義務が認められやすくなるという事実上の重要な影響があります。そのため、従業員の労災申請には企業としても必要な協力は行うべきですが、書面への記載ぶりなどにおいては、事後の紛争を念頭に置いた対応をする必要があります。
2.損害賠償請求への対応
従業員がメンタルヘルスを害してしまった場合、その原因が過重労働や上司からのパワハラにある等として、会社に対し安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を求めるケースがあります。また、不調者に対して会社が行った休職命令、休職期間満了に伴う退職、メンタルヘルス不調を見逃した懲戒処分や解雇等の対応について、紛争化するケースも少なくありません。
第6 おわりに
以上のとおり、企業のメンタルヘルスへの実務対応として、事前の体制整備から、日常の対策、不調者発生時の対応、紛争化の在り方までを概観しました。
それぞれの項目に、過去の裁判例や経験上の実務対応のポイントがありますので、随時、弊所人事労務チームまでご連絡いただければと存じます
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