Legal Note

リーガルノート

2022.01.26

2022-2-1 迫られる日本企業の「ビジネスと人権」対応③―2 ~日本企業が直面するリスクと対応~

M&P Legal Note 2021 No.2-1

迫られる日本企業の「ビジネスと人権」対応③―2 ~日本企業が直面するリスクと対応~

2022年1月29日
松田綜合法律事務所
弁護士 水谷 嘉伸

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前稿から続く

3.日本企業が晒されているリスクと求められる対応

(1) 日本企業が直面するリスク

第1回において述べた通り、人権リスクは直接的には人権侵害の対象となるステークホルダーのリスクであるが、企業がそれに適切に対応しない場合には、企業側も以下のような経営リスクを抱え込むことになり、そのリスクが顕在化する可能性は日に日に高まっている。

①レピュテーションリスク 企業に法的な責任はないものの、倫理的・社会的に問題があるとしてSNS、メディア、NGOの告発等を通じて社会的な批判が巻き起こり、SNSにおける炎上や不買運動等に発展するリスク
②事業リスク 人権問題に対する抗議として労働者がストライキを起こすことや大量の人材流出が起きること等により、事業が立ち行かなくなるリスク
③財務リスク 重大な人権リスクの発覚や人権リスクへの不適切な対応等により株価が下落したり、機関投資家・金融機関等の有力な投資家による投資引き上げ(ダイベストメント)が発生するリスク
④法務リスク 訴訟や制裁等により企業が法的な責任を問われるリスク(海外のハードロー化により企業が法的な責任を負うリスクも増大しており、欧米の企業が訴訟に巻き込まれる例も報道されている[1]

人権対応にかかる法制化が未だ進んでいない日本においても、上記のような経営リスクは加速度的に高まっており、企業経営者として、かかるリスクを認識しながら人権対応を放置することは倫理的にも、ビジネス的にも、そして、法的にも許されない情勢になりつつあると言えよう。

(2) 日本企業に求められる人権対応

では日本企業は、人権対応として何をすべきであろうか。ベースとなるのは、第1回で取り上げた「ビジネスと人権に関する指導原則」に掲げられている企業に求める以下の3つの実践指針(原則15)である。

①人権方針によるコミットメント
②人権デュー・デリジェンスの実施
③人権侵害の救済を可能とするプロセスの整備

それぞれについて概説する。

 

(ⅰ) 人権方針によるコミットメント

上記①~③のうち、①については直ちに取り組みを開始できるタスクであり、多くの企業において既に策定し一般に公開している[2]。ただし、他社の人権方針を参照して形ばかりの方針を策定するのではなく、国内外の公的機関や業界団体が定める人権ルールを理解したうえで、サプライチェーンを含む自社の事業の人権課題を調査・把握し、それに合わせた人権方針を社内外のステークホルダーや専門家のアドバイスも受けながら策定することが求められる。そして、策定した人権方針は、自社による人権対応の「コミットメント」として経営トップによる承認を得て周知・公開することになる。この点、原則16には、人権方針は以下の条件を満たす必要があると定めている。

(a) 企業の最上層レベルによって承認されていること

(b) 社内外の適切な専門家による助言を受けていること

(c) 従業員、取引先その他の自社の事業、製品、サービスに直接結び付いている当事者に対して、企業が有する人権尊重の期待が明記されていること

(d) 一般に公開され、全ての従業員、取引先及び他の関連する当事者に社内外を通じて周知されていること

(e) 企業全体に定着させるために必要な事業方針及び手続に反映されていること

上記を踏まえ、全社的なポリシーとして実質的に機能させ、社内外の批評にも耐えうるものを造り上げるため、必要な作業とプロセスを練る必要がある。

 

(ⅱ) 人権デュー・デリジェンス(人権DD)の実施

人権DDは、企業のステークホルダーの人権への負の影響を特定、予防、軽減し、対処方法に関する説明責任を果たすためのプロセスであるが、第1回において述べた通り、自社のサプライチェーンを含めた全ての人権リスクを網羅することは難しいことが多いため、侵害の深刻さや発生可能性を踏まえた「リスクベースアプローチ」にて実施することが適切である。指導原則を踏まえ、大きくは以下のステップを取ることが考えられる。

(a) 人権への影響評価(インパクト・アセスメント):人権リスクを特定し、そのインパクトや重要度を分析・評価する。具体的には、以下のような段取りを踏むことが考えられる。

①マッピング 自社の事業の内容、取引関係、製品、事業展開している国や地域等におけるステークホルダーの特定と人権リスクの洗い出しを行い、自社の事業に関連する人権リスクの全体像を把握する。
②スコーピング マッピングされた人権リスクについて、「深刻度」「発生可能性」の観点から優先順位をつけ、調査範囲を確定する(リスクベースアプローチ)。このステップでは、公の情報のほか、既存の社内資料や内部通報情報等を活用することが想定され、社内外の専門家を関与させることが望まれる。
③調査・分析・評価 確定された調査範囲について、調査を実施し、人権リスクを分析・評価する。調査の方法としては、①社内資料の調査、②デスクトップリサーチ、③従業員・取引先へのアンケートの実施、④現地調査、⑤ステークホルダーへのインタビュー等が考えられ、人権リスクの内容や重要性等を踏まえて組み合わせを含めて判断することになる。ただし、実効性のある調査のためには、社内外の専門家を活用すること及びステークホルダーとの意味のある(meaningful)協議を行うことが求められる(原則18)ことから、専門家の関与と「ステークホルダー・エンゲージメント」を調査を通して意識し、実践することが肝要である。

(b) 予防・軽減・是正措置:人権への影響評価(インパクト・アセスメント)により判明した人権リスクについて必要な措置を行うが、ここでも深刻度・発生可能性が高いものから優先的に対応を行う。人権リスクが顕在化したものに対しては是正措置を、潜在的な人権リスクに対しては予防・軽減措置を取ることが基本となる。予防・軽減措置としては、社内研修の実施、社内規程の改訂、サプライヤー行動規範の策定等社内制度・手続きへの統合が求められる。

(c) モニタリング(追跡調査):上記にて実施した措置が有効に機能しているかを継続的にモニタリングし、社内外のフィードバックも得たうえで、継続的な改善を進めていく。

(d) 情報開示:人権DDにて特定した人権リスク、その評価と取った措置、改善・予防に向けた取り組み等について、報告書や自社のホームページ等を通じて、適切な情報を対外的に開示する。

紙幅の関係上、人権DDの詳細に立ち入ることはできないが[3]、かかる一連の人権DDのプロセスが自社の「継続的」な取り組みとして実効的に機能させることができるかが鍵となる。この点、日本企業の実践状況について、前稿にて紹介した経済産業省実施の「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」によると、回答企業760社のうち人権DDに取り組んでいる企業は52%(392社)にとどまっているとのことであり[4]、人権DDが日本の上場企業においてさえ十分に浸透していない現状が浮き彫りとなっている。

 

(ⅱ) 人権侵害の救済を可能とするプロセスの整備

これはいわゆる「グリーバンス・システム」と呼ばれる苦情処理メカニズムを導入することを求めるものである。これはいかに人権侵害の抑止に努めたとしても、人権侵害をゼロにすることはできない、という前提に基づき、人権侵害を受けた或いは受ける恐れのあるステークホルダーから苦情を受け付け、対処するシステムの構築を求めるものである。一部大手企業においては、独自の苦情処理メカニズムを整備しているが[5]、原則31が実効性を担保するために満たすべき高い基準を定めていることもあり(第1回参照)、特に中小企業において独自に導入するハードルは高い。そのため、業界団体等を通じた企業横断的な窓口[6]や弁護士等外部専門家による窓口を設けることも検討に値する。この他、社内外で窓口を分け、社内グループ向けにはコンプライアンス・ホットラインを設置し、社外向けの苦情受付窓口としては会社のウェブページ上のお客様センターの問い合わせフォームの改修で対応する事例もある[7]

4.終わりに

人権対応を本格的に行うことについて二の足を踏む経営者の声も聞かれる。これは人権対応の重要性や上述した経営リスクを十分認識していないか、認識しているとしても人権対応に伴い必要となる時間・コストの大きさから、特に経営資源の限られている中小企業において時間的・財政的な余裕がなく対応が後手になっていることが大きな要因として考えられる。また、人権対応を行うコストを加味すると採算が合わず事業として成立しないという場合もあろう。いずれも現実的な理由として理解できるし、切実な問題である企業も少なくないと思われる。

ただ、第2回において述べた法制化の流れや上述のリスクを考えると、それを理由に人権対応を行わない、あるいは後回しにすることが正当化されるとは思われず、また、取引先・投資家・金融機関・NGO・消費者・労働者といった企業を取り巻くステークホルダーがそれを許容するとも考えられない。人権対応のコストや時間については、増加コスト・工数というよりも、本来的に負担すべきであった企業活動によって発生するコスト・工数を企業のコスト・工数として「内部化」するものであり、かかる適正化は企業活動を行ううえで必要不可欠のものと理解すべきであろう。そして、その適正化により採算が合わなくなる事業はその停止又は転換が必要であり、適正化を行わないまま事業を続けても早晩行き詰まる可能性が高い。

求められる人権対応を行いつつも収益を上げ続けることが出来るビジネスモデルを構築することこそ、持続可能な企業経営のために不可欠であり、持続可能な社会を実現しようとする国内外の潮流とも合致する。言い換えれば、「ビジネスと人権」の問題は、企業が「ビジネス」と「人権」をいかに両立させるかを問うものであり、更に言えば、昨今叫ばれている「サステナビリティ経営」の本質も、相対立する概念とも考えられてきた「人権」と「ビジネス」の両立を目指すところにあると考えられる。

企業の経営環境は大きな変化の只中にある。「人権」にとどまらず、気候変動等の「環境」課題も企業の規模を問わず企業経営における喫緊のテーマに浮上し、昨年11月のCOP26において採択された「グラスゴー気候合意」を受けて更に加速することが想定される。また、人権と共に問題となることの多い「経済安全保障」もその重要性が高まっており[8]、それに密接に関連する米中対立も激しさを増している[9]

こういった新しい経営課題により経営環境が目まぐるしく変わる中で、企業経営者は、国内外の情勢を読み、中長期的視点に立ち、既存の事業モデルに固執せずに持続的な企業成長のために真に必要なアクションを見極める能力と実行する覚悟が問われているといえよう。

 

<註>

[1] 2019年12月18日「[FT]米企業に集団訴訟、コバルト鉱山での児童労働で」日本経済新聞

[2] 日本経済団体連合会(経団連)が2020年に実施した「第2回 企業行動憲章に関するアンケート」の調査結果(https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/098.html)では、調査対象の企業のうち65%(188件)が、経済産業省実施の「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」(前稿P2参照)では、69%(523社)が、人権方針を策定済みと回答している。例として、橋本孝史「企業実例① 全社横断的なプロジェクトを法的知見で支える 江崎グリコ株式会社の取組み」ビジネス法務2021年5月号113頁参照。

[3] 2018年5月公表OECD(経済協力開発機構)「責任ある企業行動に関するデューデリジェンス・ガイダンス」に詳しい。

[4] 2021年11月30日「サプライチェーンの人権リスク、上場企業の52%把握」日本経済新聞。ただし、母数となっている760社は、主に上場企業の2786社の中から回答を寄せた企業であり、未上場企業を含めた日本企業全体を対象とした場合は、割合は更に低くなると考えられる。日本経済新聞が2021年10月に国内の主要524社を対象として実施した調査では、回答企業189社のうち38.6%(73社)が「調達先や契約先を調査する人権DDを実施」したと回答している(2022年1月15日「取引先の人権リスク調査、実施4割弱 質には課題も」日本経済新聞)。

[5] イオン、ファーストリテイリング、不二製油等が整備しているほか、花王も2022年よりスマホアプリを通じた運用を始める旨報道されている(2021年12月4日「花王、パーム油農園の人権侵害排除 アプリで苦情収集」日本経済新聞)。

[6] 業界団体の電子情報技術産業協会(JEITA)では、有志の国内電機メーカーが共同で苦情処理窓口を設ける仕組みを議論している(2021年9月25日「電機大手、人権侵害情報を共同収集 調達網リスクに対応」日本経済新聞)。

[7] 橋本孝史「企業実例① 全社横断的なプロジェクトを法的知見で支える 江崎グリコ株式会社の取組み」ビジネス法務2021年5月号114頁

[8] 日本政府は「経済安全保障推進法案」を本年1月17日召集された通常国会へ提出し、2023年度中の運用開始を目指す旨報道されている(2022年1月17日「重要物資、供給網を支援 半導体や医薬品」日本経済新聞)。

[9] 第2回(脚注4)において言及した「ウイグル強制労働防止法(Uyghur Forced Labor Prevention Act)」は、(厳密には同一法案ではないが)昨年12月米国上下院にて可決され、同月23日、バイデン大統領が署名することにより成立したため(2021年12月24日「米、ウイグル製品輸入禁止法が成立 22年6月に施行」日本経済新聞)、今後、新疆ウイグル自治区で採掘・生産された製品全てについて、原則、米国に輸入できなくなることが想定される(輸入規制)。これに加えて、米国は、米国輸出管理規則(Export Administration Regulations)に基づく「エンティティリスト」への中国企業の追加(輸出規制)や指定された中国企業への投資の禁止(投資規制)も行っており、米中の両方で事業を行う日本企業は慎重な対応が求められることになる(2021年12月18日「米、人権軸に対中規制強化 新疆産品を全面禁輸」「米、対中ハイテク制裁緩めず 人権侵害で強硬」日本経済新聞参照)。

 

<シリーズ:迫られる日本企業の「ビジネスと人権」対応>

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