M&P Legal Note 2023 No.7-1
最高裁令和5年(2023年)7月11日判決(性同一性障害の経済産業省職員によるトイレの使用に関する判断)を受けた対応について
2023年7月28日
松田綜合法律事務所
弁護士 髙市 惇史
(元東京地裁労働専門部裁判官)
1 はじめに
最高裁は、令和5年(2023年)7月11日、経済産業省が、性同一性障害の診断を受けた職員(生物学的な性別は男性、心理的性別は女性。以下「本件職員」といいます。)について、その執務する階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇(以下「本件処遇」といいます。)をしたことについて、違法である旨の判断を示しました(以下「本件判決」といいます。)。
報道等で本件判決に触れた方も多いと思いますが、本件判決を踏まえ、企業においてどのような対応が求められるかについて検討いたします(下記2で判決の概要を確認した上、下記3で対応について検討いたします。)。
2 本件判決の概要
(1) 事案の概要
本件職員は、経済産業省から上記1の本件処遇を受けた後、国家公務員法86条の規定により、人事院に対し、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求[1]をしたところ、人事院は、いずれの要求も認められない旨の判定(以下「本件判定」といいます。)を行いました。
そこで、本件職員が、国に対し、①本件判定にかかる処分の取消し(行政事件訴訟法第3条第2項)を求めるとともに、②本件処遇等(上司の発言等の複数の行為についても違法と主張していました。)に関し、国家賠償法第1条第1項に基づく損害賠償請求をしたという事案になります。
最高裁は、①人事院による本件判定のうち、トイレの使用に関する部分について違法である旨の判断を示しましたが、②国家賠償請求については上告を棄却し、トイレの使用を制限する本件処遇に係る国家賠償法第1条第1項の違法性を認めなかった控訴審判決の判断が確定しています。
一審判決、控訴審判決及び最高裁判決の各判断をまとめると、以下のようになります。
①本件判定に係る処分の取消し(本件処遇に関する部分以外は省略) | ②国家賠償請求(下記A、B以外の主張については省略) | ||
A)経済産業省によるトイレに関する本件処遇 | B)室長の発言(「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」旨の発言) | ||
一審判決 | 違法 | 違法 | 違法 |
賠償金合計132万円を認容 | |||
控訴審判決 | 適法 | 適法 | 違法 |
賠償金11万円を認容 | |||
最高裁 | 違法 | 上告棄却により控訴審の判断が確定(明示的な判断なし) |
(2) 時系列等
本件判決の事案の時系列は、以下のとおりです。
H10(1998)頃~ | 本件職員が女性ホルモンの投与を受け始める。 |
H11(1999)頃 | 本件職員について、性同一性障害である旨の医師の診断 |
H20(2008)頃~ | 本件職員が女性として私生活を送るようになる。 |
H21(2009).7 | 本件職員が、上司に対して自らの性同一性障害について伝える。 |
H21(2009).10 | 本件職員が、経産省の担当職員に対して女性の服装での勤務や女性トイレの使用等について要望 |
H22(2010).3 | 本件職員について、性衝動に基づく性暴力の可能性が低い旨の医師の診断 |
H22(2010).7.14 | 本件職員の執務する部署の職員に対し、本件職員の性同一性障害についての説明会を開催(本件職員も説明会開催について了承済み) |
本件説明会の翌週から、本件職員は女性の身なりで勤務を開始し、執務する階から2階以上離れた階の女性トイレの使用を開始(本件処遇) | |
H23(2011).6.1 | 本件職員が家庭裁判所において名の変更の許可を得て、経産省においても名を変更する手続 |
H25(2013).12.27 | 本件職員が、人事院に対して行政措置要求 |
H27(2015).5.29 | 人事院において、本件判定 |
(3) 判断の理由
最高裁は、上記⑴のとおり、人事院による本件判定について違法である旨の判断をしましましたが、その理由として、以下のように判示しております。
「本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、上告人を含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。そして、上告人は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる。」
「一方、上告人は、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や≪略≫を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、上告人が本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。」
「以上によれば、遅くとも本件判定時(筆者注:本件説明会から約4年10か月後の平成27(2015)年5月29日)においては、上告人が本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」と判示し、本件判定は裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものとして違法である旨の判断を示しました。
3 対応についての検討
このような本件判決の具体的事案や判断の内容を踏まえ、今後、性同一性障害の従業員との関係で、トイレの使用等に関してどのような対応が求められるかについて検討します。
(1) 具体的な事案に基づく検討が必要であること
本件判決は、本件職員に対して職場の女性トイレを自由に使用させることを認めなかった人事院の判定が違法であるという判断を示しましたが、あくまで一つの事例判断であり、全ての事案において、性同一性障害の職員からの求めに応じて職場の女性トイレを自由に使用させる必要があるという結論を導くものではありません。
すなわち、本件判決は、本件職員が自認する性別に即した社会生活を送ることができることという利益と、生物学的な区別を前提として女性トイレを利用している他の女性職員に対する配慮との利益衡量を行って結論を導いていますが、上記2⑶で引用したとおり、具体的な事実に基づき判断をしていることから、個別の事情によって結論は変わり得るといえます。
本件判決の事案では、上記2⑵に記載したとおり、本件職員は性別適合手術を受けていないものの、①10年以上にわたって女性ホルモンの投与を受けており、②性同一性障害であることや、性衝動に基づく性暴力の可能性が低い旨の医師の診断がなされ、③私生活では女性として数年間にわたって生活を送っており、④家庭裁判所において名の変更の許可を得て、経済産業省においても名の変更の手続が行われたという事情がありました。
企業としては、個別具体的な事情に基づき、性同一性障害の従業員の利益と、他の従業員の利益を調整する必要があることから、性同一性障害の従業員に配慮しつつも、診断の有無、私生活の状況、性別適合手術の予定等、当該従業員についての具体的事情をできる限り把握する必要があります。
また、本件において控訴審と最高裁で結論が分かれた一つの理由として、本件説明会において女性職員らから明確な異議が述べられておらず、また、本件職員が本件処遇により、執務する階から2階以上離れた女性トイレの使用を開始後、本件判定までの4年以上にわたり何らのトラブルが生じていなかったにもかかわらず、控訴審判決が、他の女性職員らの「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という抽象的な利益を重視したことがあげられます(最高裁は、人事院による本件判定は、「具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し」ている旨判示しています。)。
したがって、他の女性職員の利益を考慮することは必要ですが、その際には抽象的な「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」を考慮するのではなく、具体的な従業員の反応等に基づく検討が必要となります。
(2) 一定の措置を取った後、検証を継続する必要があること
本件判決においては、平成22年(2010年)6月になされた経済産業省による本件処遇から、約4年10か月後になされた人事院による本件判定が違法とされております。また、本件判決の補足意見においては、経済産業省の平成22年(2010年)当時の本件処遇自体は「激変緩和措置」として一定の合理性があったことや、「本件説明会の後、当面の措置として上告人の女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかった」ことが指摘されております。
したがって、経済産業省が本件説明会後の当初、本件職員について本件処遇を行ったこと自体が違法なのではなく、その後、4年以上にわたり、何らのトラブルも生じず、他の女性職員からの不満等もなかったにもかかわらず、本件処遇を見直すことなく本件職員の女性トイレの使用に関する制限を継続したことが、本件職員の不利益を不当に軽視したものとして違法と判断されたと考えられます。
企業において、個別具体的な事情に基づき、性同一性障害の従業員の利益と、他の従業員の利益を調整した結果、当初は性同一性障害の従業員にとって一定の制約を伴う措置を導入することが考えられます。もっとも、そのような場合、当該制約を伴う措置が合理性を有するかどうかについて、他の従業員の反応等を確認しつつ、検証を継続し、必要に応じて見直しを行うことが必要となります。
(3) 他の職員への説明の必要性と、カミングアウトの強要に注意すること
本件判決の事案では、本件職員の了承の上で、本件説明会が実施されており、その際に明確に異議を唱える職員がいたとはうかがわれなかったことが考慮されております。この点について、本件判決の補足意見においては、「例えば本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明(情報提供)やその理解(納得)のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかというと、現状でそれを無条件に受け入れるというコンセンサスが社会にあるとはいえないであろう。そこで理解・納得を得るため、本件のような説明会を開催したり話合いの機会を設けたりすることになる」旨指摘されております。
したがって、性同一性障害の従業員から本件のようにトイレの使用に関する申出があった場合、他の従業員の利益との調整の観点から、他の従業員に対する説明の必要性があることについて、当該従業員に説明し、理解を得る必要があります。もっとも、その際に、性同一性障害であることについてカミングアウトを強要することのないよう、注意する必要があります。
そして、当該従業員から、他の従業員に対する説明の必要性について理解を得られた場合にも、どの範囲の従業員に対して説明をする必要があるのかについては、当該従業員の利益に配慮し、慎重に検討する必要があります。
なお、令和5年(2023年)7月24日、職場で本人の了承なく性的指向を第三者に暴露される「アウティング」の被害を受けたことによる精神疾患の発症について、労災認定が行われた旨の報道がされております。性自認や性的指向という非常にセンシティブな情報について、本人の意思に反して他者に開示した場合、取り返しのつかない事態になり得ることから、従業員からの申出への対応に当たっては、細心の注意を払う必要があります。
(4) 公共施設の在り方について触れるものではないこと
本件判決の補足意見において、「本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の在り方について触れるものではない」旨指摘されております。したがって、本件判決との関係では、あくまで性同一性障害の従業員からの申出があった場合に、どのように対応すべきか検討する必要があることになります。
4 おわりに
本件判決の結論については、自認する性別に基づき社会生活を送る利益に配慮した判断として注目を集めましたが、上記3で検討したとおり、本件判決を受けて、一律に結論が導かれるようなものではなく、企業においては、対応に当たって具体的事案に応じた配慮や調整が必要となります。
なお、令和5年(2023年)6月23日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT理解増進法)が施行されました。同法は事業主に対して性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関し、普及啓発、就業環境の整備、相談の機会の確保等による労働者の理解の増進への努力義務を定めるものですが、LGBTに関する社会的関心の高まりに伴い、今後、同法に基づき政府が策定する基本計画の内容についても注視していく必要があります。
以上
<注釈>
[1] 国家公務員法86条は、「職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる。」と規定しております(勤務条件に関する行政措置の要求)。
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