M&P Legal Note 2025 No.15-1
医療法務【労務】(2)~医療機関におけるパワーハラスメント対応~
2025年12月20日
松田綜合法律事務所
弁護士 柴田 政樹(東京弁護士会)
1 はじめに
労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)において、使用者は、パワーハラスメント防止のための措置義務を講じることが義務付けられています。当該措置義務は、使用者の規模にかかわらず一律に適用される法的義務ですので、職員を1名でも雇用している場合には、対応が必要です。使用者が講じるべき措置の内容は、厚労省の指針(パワハラ防止指針[1])において示されており、パワーハラスメントの相談窓口の設置、及び相談を受けた場合の適切な対応(事実関係の迅速かつ正確な確認、被害者への配慮のための配置、行為者に対する措置等)を行うことなどが求められています。
もっとも、パワーハラスメントに関しては、業務指導との区別が困難なケースもあり、使用者側において対応に苦慮されることも多く生じています。特に、医療機関の場合、人的なミスが患者の生命や身体に危険を生じさせることに直結し得るため、職場内における業務指導が、どうしても厳しくなってしまう傾向にもあり、パワーハラスメントが生じやすい業種のひとつといえます。
そこで、今回は、医療機関におけるパワーハラスメントの考え方について、実際の裁判例を踏まえながらご説明いたします。
2 パワーハラスメントの定義
パワハラ防止法において、パワーハラスメントは、以下の通り定義されています(同法第30条の2第1項)。
| ①職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって ②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより ③労働者の就業環境が害されるもの |
適正な業務指導に該当するか否かの判断との関係では、特に②がポイントであり、こちらは、社会通念に照らし、㋐当該言動が明らかに当該事業主の業務上必要性がない、または㋑その態様が相当でないものをいうとされており、言動の目的、労働者の問題行動の有無・内容・程度、経緯、業務の内容・性質等諸般の事情を総合的に考慮して判断されます(パワハラ防止指針 2(5))。
例えば、業務指導は、企業秩序維持、生産性向上、勤務態度や勤務成果の改善、安全性確保等を目的に行われるものであり、このような目的がある場合に業務指導の必要性があるといえます。そのため、個人的感情、嫌悪感、趣味の不一致などを理由に業務指導をする場合には、そもそもの業務指導の必要性がないことになり、上記㋐を欠きます。
また、業務指導の必要性がある場合であっても、指導時の言動が人格否定や個人を殊更に貶めるようなものである場合(「給料泥棒」「クズ」「バカ」「寄生虫」等)や、指導時間、指導場所、指導時間帯が適切ではない場合(漫然と長時間の指導、深夜に長電話、他の労働者がいる場での指導等)、対象者の経験値や能力等とそぐわない指導をする場合(新入職員に過大な目標値の達成を求めるなど)には、業務指導として相当とはいえず、上記㋑を欠きます。
そのため、業務指導を行う際には、必ず、業務指導を行う必要性はあるのか(㋐)、必要性があるとして指導の態様として相当といえるか(㋑)の2点の観点で考えることが必要です。よく、業務指導とパワーハラスメントの区別が曖昧であるため、ハラスメント申告をされるのが怖いから業務指導が行えないというご声をお聞きします(稀に、ハラスメント申告をされることを怖がっては業務指導ができなくなるので、指導すべきことは指導をし、申告をされたら申告をされたときに考えるという声も聴きますが。)。確かに、両者の区別は難しく、グレーゾーンに属するケースもございます。しかしながら、ハラスメント対応において、絶対にやってはいけないことは「思考放棄」です。区別が難しいから考えないではなく、区別が難しいからこそ考える視点や物差しを正しく身に着けることが肝要です。業務指導との関係では、上記2点がまさに考え方の視点や物差しになるものですので、常に、この2つを意識することが大切です。
3 医療機関における裁判例
パワーハラスメントの基本的な考え方は上記2記載の通りですが、以下では、医療機関における裁判例として参考になるものをご紹介します。
(1) 単純ミスに対する厳しい注意指導の事例(東京地判平21年10月15日労判999号54頁)
ある裁判例では、病院の事務総合職として採用された者が、業務上の単純ミスや不手際を多数引き起こしため、病院側で指導をしたところ、このような指導を理由に適応障害を発症したなどとして損害賠償請求がなされた事案があります。
この事案において、裁判所は、「一般に医療事故は単純ミスがその原因の大きな部分を占めることは顕著な事実であり,そのため,・・・・原告を責任ある常勤スタッフとして育てるため,単純ミスを繰り返す原告に対して,時には厳しい指摘・指導や物言いをしたことが窺われるが,それは生命・健康を預かる職場の管理職が医療現場において当然になすべき業務上の指示の範囲内にとどまるものであり,到底違法ということはできない」と述べ、労働者側の請求を認めませんでした。
医療機関という「生命・健康を預かる職場」であることを理由に業務指導の必要性が高いといえるため、ある程度の「厳しい指摘・指導」を行う余地を認めている点が特徴的であり、参考になるものといえます。ただし、いくら業務上の必要性が高いからといって、そのことだけをもってどのような態様の指導でも許容されるというわけではないため、ご注意ください。特に、この事案では、注意指導にあたり、以下のように医療機関側ができる限り丁寧な対応をしていたことも認定されており、業務指導時の対応方法として参考になります。
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(2) 本人不在時の発言(陰口)のパワーハラスメント該当性が判断された事例(東京高判令和5年10月25日労判1303号39頁)
別の裁判例として、医療法人にて歯科医師として勤務していた者が、理事長から、自身がいない場(職員控室)で、他の職員とともに、診療内容や職場における同人の態度は懲戒に値する、暇だからパソコンに向かって何かを調べているのは訴訟を提起しようとしているからではないか、同人の育ちが悪いなどの揶揄する会話が行われたことについて、損害賠償請求をした事案があります。当該事案では、歯科医師本人が、職員控室にボイスレコーダーを設置していたため、自身が不在時の発言ではあるものの、これを耳にしてしまったという事案です。
この事案において、裁判所は、「これらの会話は、元々一審原告が耳にすることを前提としたものではないが、院長(理事長)としての・・・地位・立場を考慮すると、他の従業員と一緒になって前記のような一審原告を揶揄する会話に興じることは、客観的にみて、それ自体が一審原告の就業環境を害する行為に当たることは否定し難い」として、パワーハラスメントに該当するとの判断をしています(損害額は、慰謝料等の22万円)。発言主体が、院長(理事長)という組織の上位者による者であることから、他の職員もこれに迎合せざるを得ず、対象者が職場にいづらい状況が作出されてしまい、結果として就労環境が害されるという点が重視された判断であるものと思われます。 ボイスレコーダーの設置により陰口を聞いてしまったという特殊な事例ではあるものの、たまたま立ち聞きをしてしまったケースでも、おそらく同様の判断がなされたものと考えられます。
また、裁判例上は、退職勧奨の事案ですが、職場内で違法な退職勧奨が行われた場合、これを見聞きしていた他の従業員との関係でも間接的な退職勧奨に該当し違法であると判断された事例があり(東京高判平成29年10月18日労判1179号47頁)、このような事例も踏まえて間接的なパワーハラスメントも成立する余地があると考えられています。
このように、陰口や発言者が意図していない者との関係でも、パワーハラスメントは成立し得る余地があるため、注意が必要です。
(3) パワーハラスメントを原因とする自殺事案(広島高裁松江支判平成27年3月18日労判1118号25頁)
職場内におけるパワーハラスメントの事案では、被害者となる職員が精神不調等を理由に自殺をしてしまうケースも存在します。このような事案では、高額な損害賠償請求が行われることも珍しくはありません。例えば、ある裁判例では、公立病院で勤務する医師が、過重労働や上司からのパワーハラスメントによって自殺に至ったとして、1億円超の損害賠償請求が行われた事案があります。
この事案では、上司からのパワーハラスメントとして、手術時の「田舎の病院だと思ってなめとるのか」との発言や、仕事ぶりが給料分に相当していない、これを「両親に連絡しようか」との発言が認められるとした上で、「経験の乏しい新人医師に対し通常期待される以上の要求をした上,これに応えることが出来ず,ミスをしたり,知識が不足して質問に答えられないなどした場合に,患者や他の医療スタッフの面前で侮辱的な文言で罵倒するなど,指導や注意とはいい難い,パワハラを行っており,また質問をしてきた新人医師を怒鳴ったり,嫌みをいうなどして不必要に萎縮させ,新人医師にとって質問のしにくい,孤立した職場環境となっていた」との認定をし、病院側の損害賠償責任を肯定しています。
医療機関においては、長時間労働の実態が生じてしまうことが多いところ、ここにパワーハラスメントの事象も加わりますと、重篤な健康被害が生じ、その結果として紛争化に至るケースも珍しくありません。もちろん、紛争化防止が目的ではなく、そもそもの健康被害を防止することが第一であり、医療機関側としては、職場内における就業環境が労働者の生命や身体を損なってしまう可能性があることを十分に理解した上でパワーハラスメント防止の措置を講じるべきであり、かつ、実際に指導にあたる上長も自身の指導の在り方に注意を払う必要があります。
4 まとめ
冒頭でご説明した通り、医療機関において、患者の生命・身体の安全を確保するために、時に厳しい指導を行わなければいけない場面があることは否定できません。しかしながら、このような厳しい指導の枠を超えてパワーハラスメントを行ってしまうことがないようにしなければいけません。パワーハラスメントが生じる職場環境においては、報告・連絡・相談を適時かつ適正に行われない状況を生んでしまい、かえって患者の生命・身体を危険にさらしてしまう事態にもなり得ます。患者からすれば、職場内の安全管理ができていない医療機関に、自身の生命や身体を委ねようとは思わないのではないでしょうか。そのため、職場内のパワーハラスメントは、医療機関のレピュテーションにも関わり、患者離れを生じさせることにもなり得ます。
以上を踏まえて、改めて、パワーハラスメントに関する考え方を整理いただき、日ごろのパワーハラスメント防止に向けて職場環境の整備を進めていただければと思います。
松田綜合法律事務所では、人事・労務管理を多数取り扱う弁護士が在籍しており、医療機関の労務管理に関する対応及びアドバイスを行っております。パワーハラスメントを含めたハラスメント防止の研修なども実施しておりますので、ご興味がありましたら遠慮なくお問い合わせいただけますと幸いです。
<註>
[1] https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605661.pdf